文化教養講座「一茶俳句に歴史を読む」が開催されました

 12月14日に文化教養講座「一茶俳句に歴史を読む」~一茶俳句にみる江戸人の暮らし~と題し、元県立歴史館情報課長でシニア大学長野学部実技講師の宮下健司氏を講師に、石渡公民館大会議室において講演会が開催されました。

 一茶は、生涯に2万2千句の俳句を残し、歴史書、小説、随筆及び日記などを約500点の書物を読破する読書家、雑芸・謡曲、本草学及びその他(童唄、民謡、浄瑠璃など)を独学自習した博学一茶、雑学者一茶の側面をもつ。また、一茶はメモ魔で、丹念に日常の出来事や俳句などを記録した「句集・日記」を残している。

 なお、『一茶』を知るには、年譜をみることが必要。宝暦13年に柏原に生まれ、安永6年春、江戸奉公に出る。天7年まで消息不明。その後、寛政4年から6年間京・大阪、中国、四国、及び九州を巡る。寛政11年に晩春より甲斐・北陸方面へ旅立つ。享和元年3月帰郷して、父を看病する。文政10年閏6月1日柏原の大火で母屋を消失。その後、焼け残りの土蔵の中で亡くなる。

 最後に、一茶の2万2千句を一茶の人間界、一茶の人生、村の生活、農業・農村、庶民の日常生活、年中行事、信仰・善光寺・伊勢など、下層に生きる人々、大名・武士、動植物及び方言・俗語・擬音語に分類してあるとのこと。その中から一茶の句を紹介されました。

【文と写真:石渡区広報部長 早川球喜】

写真の右上は、石渡神社の奉納俳額を研究者が翻刻した全ての句を印刷したシート。奉納俳額は、保存状態が良い。呂白(草津の人)や白斎(豊野の人)の名がある。当時は、寺小屋の師匠が指導しており、俳句の愛好者が多かったのではないか。

一茶の人間界、人間の句
〈時鳥 人間界を あきたげな〉
〈青空に 指で字をかく 秋の暮れ〉
〈日本の 冬至も梅の 咲ニけり〉
〈君が代や 唐人も来て 年ごもり〉

一茶の人生
〈初夢に 故郷を見て 涙かな〉
〈我が宿 朝霧 昼霧 夜霧哉〉
〈夏の夜 風呂敷かぶる 旅寝哉〉

村の生活の句
〈夕立や 名主組頭 五人組〉
〈竹ぎれで 手習ひする まま子哉〉
〈しなのぢや そばの白さも ぞっとする〉

農業・農村の句
〈早乙女に おぶさって居る 胡蝶哉〉
〈桑の木は 坊主にされて かんこ鳥〉

庶民の日常生活の句
〈納豆と 同じ枕に 寝る夜哉〉

年中行事の句
〈八文で 菖蒲湯までも 済しけり〉
〈杉箸で 火をはさむ也 えびす講〉

信仰・善光寺・伊勢などの句
〈御仏や 寝てござっても 花と銭〉
〈君が代や 厄をおとしに 御いせ迄〉

下層に生きる人々の句
〈貧乏人 花見ぬ春は なかりけり〉
〈霜がれや 鍋の炭かく 小傾城〉

大名・武士の句
〈水桶も 大名の紋や 梅の花〉
〈大名と 肩並べけり きくの花〉
〈花さくや 下手念仏も 銭が降る〉

動植物の句
〈虹の輪の 中に馬ひく 枯野かな〉
〈我国は 猿も烏帽子を かぶりけり〉
〈夜祭や 棚の鼠が 一の客〉

方言・俗語・擬音語の句
〈ののさまに 尻つんむけて 鳴く蛙〉
〈咲花も たゞむちゃくちゃに 過にけり〉