石渡写真クラブ月例会(10月)作品&講評=文化祭出品作品紹介

石渡写真クラブ月例会(10月)作品&講評=石渡区文化祭展示作品紹介
 コロナ下、今回も演芸大会なしで展示のみの文化祭となりました。写真クラブでは講師を含む会員10人の作品20点を出品しました。昨年秋から今年にかけて撮影した未発表作品ばかりで、元気に山登りした時の写真や行楽地、善光寺、近くの運動公園など個性にあふれた力作が並びました。
 多くの作品は、毎月公民館で実施の月例会に持ち寄り、みんなで鑑賞しながら写真技術向上に向け勉強したものです。毎月、区のホームページに講評ととともに紹介していますので、だぶった作品のコメント、講評は割愛します。興味のある方は、パソコンかスマホにて「石渡つうしん」をご覧ください。
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 講評はクラブ員で講師の増田今雄さん(5常会)です。
 写真をクリックすると拡大して見えます。

【倉澤 利和】

「いつか空へ」(破風岳毛無峠)=8月11日
講評:9月例会の作品「トレッキングには最高の破風岳(1,999㍍))」(高山村)と同じ山行時の作品。コメントは「好天に恵まれて清々しい気分になりました」でした。峠から見た山稜の上に広がる青空に一条の飛行機雲でしょうか、上に登る(下にくだる?)雲をすかさず捉えたところがグーです。ぽっかりと浮かぶ雲と共演、空気感のある(スケールのある)作品となりました。自分も「いつかは・・・」という憧れも感じ取れました。
「鮮やかな紅葉」(若穂綿内清水寺)
講評:多くのカメラマンが狙い、実に多くの写真が登場してきた清水寺の紅葉ですが、どれもきれいですね。同じく、そのきれいさ(鮮やかさ)に浸った様子が作品、タイトルから伝わってきます。ただし、「きれい」という横並びの作品群から抜け出すには、何か付加価値を足さないといけません。まあ、そんな屁理屈や技術論はどうでもいいという逆の考え方もあります。きれいなものはきれいに撮れて、単純に「あーよかった」も写真の持つ一面ですね。

【高山 三良】

「綿になるまで」(自宅)=8月~9月
コメント:柔らかな花をつけ、花の色を変え、硬い実となりはじけて綿になる。神秘さえ感じます。
講評:以前、信濃毎日新聞で取り上げられたこともある綿の木と花ですが、花の色が変化するとは驚きでした。その様子を含め、成長過程を組み写真にまとめた報道写真。事実を伝えるという写真の持つ特性で、変化を分かりやすくまとめました。
「コスモス園」黒姫高原=9月16日
コメント:黒姫高原のコスモス園をリフト上から撮りました。地上では見られない景色がありました。
講評:スケールのあるものはハイアングルから撮りたいところですが、なかなか市街地のように隣接したビルの屋上など高い所がありません。せいぜい脚立の出番ですが、10尺程度(農家で使う三脚脚立)で限度があります。それでも、身長の高さよりは少しでも高い所から撮ると感じが違ってきます。ヘリを登場するまでもなく、近年ではドローンと言う手もありますが・・・。そこでハタと考えましたね。リフトを利用しての撮影。広がりのある作品となり、人物も適度に配置され花を楽しむ様子が分かります。

【竹内 一郎】

「雪炎」(善光寺)=1月例会作品
「俺もやりたい」(自宅)=2月例会作品

【中島 弘】

「生きる」(飯山市)=2月例会作品
「灼熱の恵み」(中野市豊田)=7月例会作品

【早川 球喜】

「咲き誇る菜の花」(飯山市菜の花公園)=5月例会作品
「咲き誇る菜の花」(飯山市菜の花公「鯉の乱舞」(野尻湖)=8月例会作品

【広澤 一由】

「霊松寺の紅葉」(大町市)=2021年11月例会作品
「鬼(木)門を過ぎて頂上へ」(新潟県米山)=6月例会作品

【宮澤 一成】

「負けないぞ」(飯山市北竜湖)=8月例会作品
「幽影」(善光寺)=1月例会作品
※例会の作品タイトルは「青色に包まれて」です。

【吉池 安雄】

「公園の四季・秋の雲その1」(長野運動公園)
「公園の四季・秋の雲その2」(長野運動公園)
講評:吉池さんのフィールド、運動公園から見た秋雲2題。1枚はサブトラックから南方向、もう1枚は築山から西南方向ですが、いずれもウロコ雲状の波打つ雲に太陽をあしらいながら撮影しています。空気感が素晴らしい作品となりました。この秋の雲をはじめ、春夏秋冬の公園の様子を撮りため、個展までこぎつけるべく頑張っていきましょう。

【吉田 幹男】

「レンギョウと桜」(長野運動公園)=4月例会作品
「登りづらい石段」(小布施町浄光寺)
コメント:ブドウを見に須坂市高畑に行き、小布施町浄光寺に寄りました。歴史を感じる石段は、石が不揃いで登りづらかったです。
講評:私も一度行ったことのある寺で、確かに登りづらかった記憶があります。不揃いで、時の経過とともに崩れたりし登りづらいことこの上ない石段でした。でも、檀信徒が協力して作ったものでしょうか、往年の歴史を感じさせてくれます。

【増田 今雄】

「山葵田(わさびだ)の春」(安曇野市穂高)
 県カルチャーセンター「たのしい写真教室」で、安曇野市の光城山へ桜の撮影会の帰りに立ち寄った大王わさび農場近くの湧水の川です。川沿いに小さな山葵田、桜の花と白花はナシの花か?ちょうど向こうに安曇野を代表する有明山も見え、春本番でした。

「わが家」(長野市妻科)
 所用で行った妻科神社近くの民家の庭先。植え込みの葉の間に直径数センチのクモの巣があり、よく見ると何とも波状というか、ひと言で表現できない模様がらせん状に渦巻いていました。そして、その中央にご本尊様が・・・。クローズアップが得意のコンパクトデジカメで撮ったものの結果は深度が浅くどうも気に入らない。再度一眼デジカメ、55㎜マクロレンズで挑戦。三脚を立てたりいろいろ前段の仕掛けをしているうちに、「わが家」を支える外側の糸が切れ始め、三脚をそっと撤去し手持ちで撮影しました。

【なぜ展示するか】
 「写真」を一連の流れで追うと、撮影から始まり最終的に「展示」で終止符を打つものと考えます。

 そもそも写真の役割の中に「伝える」ことがあります。報道写真のように、今現実に起きていること(起こった事)を画像で第三者に伝える。見た人は「なるほど」と確か起こったことを確実なものとして認識します。報道カメラマンが撮影した写真は、読者に見ていただき完結します。
 では、私たちの写真はどうか。
 撮影した作品は、撮った人の思いや感動などが盛りこまれます。「朝焼けは雄大でしたよ」、「小さな子どもの表情が何ともかわいらしい」、「ひと昔前にタイムスリップしたような懐かしい路地裏の光景」などなど作品が見た人に語りかける、訴えるものがそこに存在します。
 シャッターを押すという行為は、その場面をもう一度誰かに再現して見てもらいたい、自分が思ったことや感動を味わってもらいたいという気持ちがあるからと思います。撮った写真を、自分だけで見て満足し終わりという人は少ないと思います。
 自分の味わった感動や思いを見た人にも共有していただくこと。それが展示(写真展)です。写真展に足を運ぶ人たちの中には、写真を志す仲間はもちろんですが、写真を自らやらない人も来ます。作品を見て、作者と同じ感動、思いを追体験して帰ります。
 展示(写真展)は、写真を通し人と人とがつながってゆく場(機会)と捉えましょう。
    (県カルチャーセンター「たのしい写真教室」講義より、増田)