石渡写真クラブ月例会(3月)作品&講評

石渡写真クラブ月例会(3月)作品&講評
 3月の例会は年度最後の例会ということで、3カ月ぶりに感染対策を厳守、公民館に集まりクラブ総会を兼ねて実施しました。寒い冬とあって、やや撮影行動が減退気味だったかと思われますが、月1回の例会には何か用意しなければ・・・と外に出てシャッターを押した意欲作が並びました。
 これからは春本番です。花だけでもフクジュソウやカタクリから始まり、桜、アンズ、菜の花・・・と次々と咲き競い、新緑へと移ります。「コロナに負けるな!」、「こんな時代だからこそ」と北信では善光寺御開帳、諏訪では御柱も始まりました。当地区でも御柱が予定されています。
 選択に困るほど素材が盛りだくさんです。コロナに負けず、頑張り過ぎないように、野に山に里に出かけましょう。

 講評はクラブ員で講師の増田今雄さん(5常会)です。
 写真をクリックすると拡大して見えます。
※今回、撮影者、タイトル、場所のほかに撮影日を明記しました。季節の変わり目の作品が多く、「いつごろ?」の疑問に答えるためです。

【吉池 安雄】「雪のいたずら」(長野運動公園)=12月18日
講評:雪が積もった運動公園の野球場と陸上競技場の駐車場広場。車が走り去った後のわだち跡に目を付けました。いい素材を発見しすかさずカメラに収めたところがいいですね。ただし目線位置なので、わだち跡が目立ちません。脚立か、いす程度でも高い位置(ハイアングル)から撮ると跡がもう少し分かるようになったかと。そして、画面構成が上と下が半々の二分割構図になってしまい、主題を弱めています。上の空は思い切ってカット、主題のわだち跡の部分が三分の二ぐらい占める三分割構図にすると、もっと「おっ、面白いな」が強調、作品としてグレードアップしました。参考までに、この作品も、上をカットしてみましょう(写真下)。

 

【宮澤 一成】「春の目覚め」(自宅=3月7日)
コメント:庭先に蕗のトウがやっと顔を出しました。花咲く春は、もうすぐそこですね。
講評:朽ちた落ち葉の広がる大地からぬっと顔を持ち上げたフキノトウ。力強さ、生命力を感じます。長い冬を耐え、ぱっと開ける春が到来した自分の想いと重ね合わせて作画した心情が読み取れます。複数のフキノトウをバランスよく配置、向こうにスイセンがある構図はいいと思います。が、別の手法として左手前の株にもっと大胆に近づき、ローアングルで狙い、向こうに宮澤家の片鱗が・・・。もちろん一つのフキノトウ(主題)だけにフォーカス、ほかはぼかす・・・。

【広澤 一由】「ロッククライマー」(長野運動公園=2月10日)
コメント:ロッククライマーにでも変身するがごとく、スズメが岩に飛び降りてきた!何をするのだろう?・・・・何か餌に見間違えたかな?!
講評:前々回から続く野鳥シリーズ第三弾。段々と春めいた感じが盛り込まれ、躍動感あふれるスズメの姿態をシャッターチャンスよく捉えています。急な岩壁で脚を踏ん張って静止。ややぶれた感じが、かえって動感が出ましたね。なお、すぐ右にある、小さな木の実でしょうか、餌?に見立てたところは細かい所までよく観察しています。餌を狙って近づいたか、あるいは近くで餌をついばんでここで食べようとしたらくちばしからはじけ飛んだか・・・?いろいろと連想させてくれます。

【早川 球喜】「春浅き久米慈峡」(久米路峡=3月8日)
コメント:信州新町の久米路峡は、名勝名鏡と知られ、多くの文人墨客が訪れ、「信濃の国」の作詞者浅井冽も訪れ、「心して行け久米路橋」と詠っています。又この橋は、悲しい民話が語り継がれております。この民話を題材に地元出身の能楽師・永島充師が創作されたとの報道に接し、凄く興味を抱きました。能の「井筒」を参考したとのことで、伊勢物語の恋愛ものからどう物語が展開するのか興味のあるところです。
講評:信州新町の町を少しはずれた犀川に架かる久米路橋。現在の国道はショートカットのトンネルを通過してしまうので、車窓からちらりとしか見えません。古事にちなむ橋は、おそらくこの橋ではないと思われますが、橋をはさんだ一帯の峡谷にはさまざまな伝説や著名人が来歴、そんな過去に想いをはせながらの撮影意図が伝わってきます。ただ、写真的には画面がやや右下がりです。水面や橋が微妙に傾き、橋のふもとにある電柱も傾いて見えるだけに苦にし始めると苦になります。補正しましょう。

【中島 弘】「北帰行」(安曇野市の犀川白鳥湖=2月28日)
コメント:北へ帰る時期を狙っての飛翔訓練なのか。昨年の台風で例年の越冬地を失い、違う場所での越冬をそろそろ切り上げ、厳しかった今年の信州の冬に別れを惜しんでいるようだ。
講評:昨年11月の例会作品「今年もやってきました」の続報で、長い冬を信州で過ごし北方シベリヤへ帰る「北帰行」です。数は少ないものの、背景に残雪を抱いた常念岳を入れ込むことに成功、ばっちりですね。空気感、スケールが出ました。
 前回の講評に、越冬ハクチョウの作品は多くの写真が世に出ているが、まずはそこに追いつく挑戦を!と書かせてもらいましたが、そこに到達しましたね。今後、もう少し数を増やしてにぎやかにしよう、常念岳でなく別の山塊、夕焼けとか朝焼けとか、などなど少しずつこれまでの作品から抜け出し、オリジナルな方向に志向してゆくことと思います。

【高山 三良】「月あそび」(運動公園=令和3年10月と令和4年2月)
コメント:月と何かを絡めて撮りたいと探しました。何でしょうか?
講評:さて、何でしょう?謎解きの作品ですが、見る人にあれこれ考えさせ、想像力を掻き立てる味のある作品となりました。そして、月の形もほぼ半月と満月を意識的に変え、なお位置も微妙にずらした点も変化に富み飽きさせませんね。
例会で、答えをお聞きしましたが、あえて書きません。皆さん、ヒントは撮影場所の運動公園。考えてみましょう。(答えは次回)

<絡める>
 写真は、そのものずばりを撮ることがあります。この作品のように「月」なら、月そのものだけを画面内に写すことと言えます。ほかに余計なものは写し込みません。それはそれでいいですが、写真の手法としては、そのもののほかに何かを写し込む(絡める)と一風違った雰囲気に変わっていきます。この作品のように月の手前に何かを配置していますが、手前でなく月の向こうに何かを写し込むこともあります。そうすることにより、手前から奥へと見る人の視線を誘導し、奥行き感(遠近感)を感じさせてくれる効果があります。
ちなみに「月」は作者が1番表現し伝えたかったもので「主題」とも言います。手前のぼけたものは、主題を助ける(盛り立てる)脇役。主題の向こうに何かある場合は「背景」ともいいます。主題を意図的に浮き立たせるために背景を暗い感じのトーンを選んだり、ぼかしたりします。適切な背景処理は作品をグレードアップします。
 さらに、作品の中に「何か人物とかがあれば・・・」とよく言いますね。人物でも犬でも猫でも何でもいいですが、これを「点景」と言います。これも「主題」を引き立てる役目を持ちます。
 「あっ」と思ったもの、シーンを人様にも見てもらいたい、伝えたいという感動をより効果を高める作品にする手立てとして“何かを「絡める」”というお話でした。