6月28日(土)朝陽住自協公民館部会・朝陽公民館共催の第54回史跡めぐりが実施されました。梅雨真っ只中ではありましたが、晴れ男の倉澤利和石渡公民館長の面目躍如 雨具を使うこともなく、バス3台総勢134名(石渡からは18名が参加)で南信の名所旧蹟を訪れ楽しい一日を過ごすことができました。
昨年の史跡めぐりは台風直撃により中止となったことから同じコースのリベンジとなり、満蒙開拓平和記念館・長岳寺→水引の里→お菓子の城 飯田→奈良井宿を訪れました。
満蒙開拓平和記念館は一度は行ってみたかったということで参加された方もいらっしゃいました。記念館ボランティアの方から、当時の現地での厳しい現実を歴史の流れと合わせて、映像や掲示資料をもとに説明していただきました。長野県からの開拓移民、満蒙義勇団員が全国一多く国策に協力したため、日本への引き上げに伴う犠牲者も最多だったということは、お役所に従順な県民性と農村の貧しさならではの結果だったかもしれません。説明されたボランティアの方の最後の「このような先人の犠牲を経た歴史を、無駄にしないよう今後にどのように生かしていくかを考えないといけない」とのメッセージが心に響きました。
長岳寺は武田信玄が野田城攻めの際、病が重くなり甲斐への帰路に病死し、火葬された場所とされています。また、中国に残留した満蒙開拓団の子供、婦人の帰国にあたり尽力された山本慈照氏が住職を務められたお寺でもあります。現在の住職の方が信玄公との関わりや歴史を説明して下さり、50年程前に中央道建設にあたり現在地に移転となったそうです、阿智村在住の日本画家吉川優氏が下伊那地方の四季を描いた襖画や信玄公の供養塔等見所の多い古刹です。
満蒙開拓平和記念館と長岳寺は隣り合って建っていますので、合わせて見学できます。今回は多人数だったため、2班に分かれ石渡は長岳寺、記念館の順で見学しました。
奈良井宿(塩尻市:旧楢川村)は中山道木曽11宿では1番標高が高く、難所鳥居峠を控えた宿場町として発展し、町並みは国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されているそうです。宿場町をゆっくり五平餅でも食べながら木曽大橋まで歩きたかったのですが、時間制限があり早足でかけ巡らねばならなかったことが少し残念!
帰路は雨があたり始めた高速道を姨捨の休憩を挟み長野まで一気に北上し、石渡いこいの広場から自宅までの間が唯一の雨具の出番でした。
車中では、バスガイドさんの楽しいお話を聞きながら今回の感想、これから行ってみたい所等アンケートも行い、次回もより魅力的な史跡めぐりが期待されます。
公民館役員の皆さま、大変お世話になり、ありがとうございました。
【写真と文:通信員 笠原千代子】
記念館見学完了まではアルコールを控えたため、昼食会場は大盛り上がり!
作りたての名物「赤飯まんじゅう」を買い求める行列ができた風雲 お菓子の城 飯田城
木曽大橋 総檜造りの太鼓橋は、橋脚を持たない橋としては日本有数の大きさを誇ります